SCRIPTURAE PRIMUM ET SOLUM
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(記事「聖書の教え」は記事「永遠の命」の後にある)
永遠の命
喜びの希望は私たちの回復力の強さです
「しかし,これらのことが起き始めたら,真っすぐに立ち,頭を上げなさい。あなたたちの救出が近づいているからです」
(ルカ21:28)
この物事のシステムの終わりに先立つ劇的な出来事を説明したが、それは最も悲惨なはずであり、私たちが現在経験していることである, イエスは希望の実現が近いだろうと言われました。
個人的な問題にもかかわらず喜びを保つ方法は?使徒パウロは、私たちがイエス・キリストのパターンに従わなければならないと書いています。「それで,これほど大勢の 証人たちに囲まれているのですから,私たちもあらゆる重荷と,すぐに絡み付く罪を捨て,参加している競走を忍耐して走りましょう。 私たちの信仰を導き,完全にしてくださる方であるイエスを一心に見つめながら走るのです。イエスは,前途にある喜びのために,恥を物ともせず苦しみの杭 に耐え,神の座の右に座りました 。 罪人たちは自分に害を招く敵対的な言葉を語り,イエスはそれを忍耐しました。そのイエスのことをよく考えてください。そうすれば,疲れて諦めてしまうことはないでしょう」(ヘブライ12:1-3)。
イエス・キリストは、彼の前に置かれた希望の喜びを通して、問題に直面して彼の回復力のエネルギーを引き出しました。私たちの前に置かれた永遠の命への希望の「喜び」を通して、私たちの回復力を高めるためにエネルギーを引き出すことが重要です。私たちの問題に関しては、イエス・キリストは私たちが日々問題を解決しなければならないと言いました。 「それで,何を食べ何を飲むのだろうかと自分の命のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで,心配するのをやめなさい。命は食物より,体は服より大切ではありませんか。 鳥をよく観察しなさい。種をまいたり,刈り取ったり,倉に集めたりはしません。それでも天の父は鳥を養っています。あなたたちはそれよりも価値があるのではありませんか。 心配したからといって,誰が自分の寿命を少しでも 延ばせるでしょうか。 また,服のことでなぜ心配しているのですか。野のユリがどのように育つかをよく考えなさい。苦労して働いたり,糸を紡いだりはしません。 しかし,華やかな生活を送ったソロモン王 でさえ,このような花の1つほどにも装ってはいませんでした。 では,神が,今日ここに生えていて明日火に投げ込まれる野の草木にこのように服を与えているなら,ましてあなたたちには服を与えてくださるのではないでしょうか。信仰の少ない人たち。 それで,心配して,『何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を着るのか』などと言ってはなりません。 これら全ては異国の人々が必死に求めているものです。天の父は,あなたたちがこうしたもの全てを必要としていることを知っています」(マタイ6:25-32)。原則は単純です。私たちは、発生する問題を解決するために現在を使用し、神に信頼を置き、解決策を見つけるのを助ける必要があります。 。「ですから,王国と神から見て正しいこととをいつも第一にしなさい。そうすれば,こうしたほかのもの全ても,あなたたちに与えられます。 それで,次の日のことを決して心配してはなりません。次の日は次の日で心配する事があります。その日の問題は,その日だけで十分です」(マタイ6:33,34)。この原則を適用することは、私たちの日常の問題に対処するための精神的または感情的なエネルギーをよりよく管理するのに役立ちます。イエス・キリストは、私たちの心を混乱させ、私たちからすべての霊的エネルギーを奪う可能性のある、過度に予期している問題や試練に対して助言します(マルコ4:18,19と比較してください)。
ヘブライ12:1-3で書かれた励ましに戻るには、聖霊の実の一部である希望の喜びを通して未来に自分自身を投影する精神的な能力を使用する必要があります: 「」(ガラテヤ5:22 、23)。エホバは幸せな神であり、クリスチャンは「幸せな神の良いたより」を説くと聖書に書かれています(テモテ第一1:11)。私たちは、私たちが共有する良いたよりによってだけでなく、他の人に放射したいという私たちの希望の喜びによっても、光の中心でなければなりません: 「」(マタイ5:14-16)。次のビデオと記事は、永遠の命の希望に基づいて、希望の喜びを目的として作成されました。「あなたの報酬は天で大きいので、喜びと喜びのために飛躍してください」(マタイ5:12 )。エホバの喜びを私たちの本拠地にしましょう。「エホバからの喜びは皆さんの力 となるのです」(ネヘミヤ8:10)。
地球上の永遠の命
罪の絆から人類を解放することによる永遠の命
「神は,自分の独り子を与えるほどに人類を愛したのです。そのようにして,独り子に信仰を抱く人が皆,滅ぼされないで永遠の命を受けられるようにしました。(…)子に信仰を抱く人は永遠の命を受ける。子に従わない人は命を得ず,神の憤りがその人の上にとどまる」
(ヨハネ3:16,36)
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イエス・キリストは、地上にいるとき、しばしば永遠の命の希望を教えました。しかし、彼はまた、キリストの犠牲への信仰を通してのみ永遠の命が得られることを教えました(ヨハネ3:16、36)。キリストの犠牲のいの価値は、癒しと若返りと復活を可能にします。
キリストの犠牲の祝福による解放
「人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来ました」
(マタイ20:28)
「ヨブが友人たちのために祈った後,エホバはヨブの苦難を取り去り,再び豊かな生活を送らせた。エホバは,ヨブが以前に持っていた物を,2倍にして与えた」(ヨブ42 :10)。大難を生き延びた大群衆のすべての人にとっても同じです。 エホバ神は、王イエス・キリストによって、弟子ヤコブが思い出したように、彼らを祝福します。「私たちは,忍耐した人は幸せであると考えます。皆さんはヨブの忍耐について聞き,ヨブがエホバのおかげでどんな結末を迎えたかを知っています。エホバは優しい愛情にあふれ,憐れみ深い方なのです」(ジェームズ5:11)。
キリストの犠牲は許しを許し、身代金の価値は、復活による身体の交換、癒しと若返りによる再生を可能にします。
キリストの犠牲は病気を取り除く
「「私は病気だ」と言う住民はいなくなる。その土地に住む人々は過ちを許される」(イザヤ33:24)。
「その時,目が見えない人は見えるようになり,耳が聞こえない人は聞こえるようになる。その時,足が不自由な人は鹿のように跳びはね,口が利けない人は歓声を上げる。荒野に水が湧き出て,砂漠平原に川が流れる」(イザヤ35:5,6)。
キリストの犠牲は若返りを可能にします
「神はその人に親切を示して言います。『彼が墓穴に下らないようにしなさい!私は贖いを見いだした!」(ヨブ33:25)。
キリストの犠牲は死者の復活を可能にします
「地面の中で眠っている多くの人が目を覚まします。ある人たちは永遠の命を得,ある人たちはとがめられて永久に嫌悪されます」(ダニエル12:2)。
「また,私はこの方たちと同じ希望を持っております。神が正しい人も正しくない人 も復活 させてくださるという希望です」(使徒24:15)。
「このことに驚いてはなりません。記念の墓の中にいる人が皆,彼の声を聞いて出てくる時が来るのです。 良いことをした人は命の復活へ,悪いことを行った人は裁きの復活へと出てきます」(ジョン5:28,29)。
「また私は,大きな白い王座とそれに座っている方を見た。その方の前から地と天が逃げ去り,もはや見られなくなった。 さらに見ると,死んだ人々が,大きな者も小さな者も,王座の前に立っており,数々の巻物が開かれた。別の巻物,すなわち命の巻物 も開かれた。死んだ人々は,数々の巻物に書かれている事柄に基づき,各自の行いに応じて裁かれた 。 海はその中の死者を出し,死と墓もその中の死者を出し,その人々は各自の行いに応じて裁かれた」(黙示録20:11-13)。
キリストの犠牲により、大群衆は大患難を生き延び、死なずに永遠の命を得ることができます
「その後,私が見ると,全ての国や民族や種族や言語の人々の中から来た,誰も数え切れない大群衆が,王座と子羊の前に立っていた。その人たちは白くて長い衣服を着て,ヤシの枝 を持っていた。 そして大声でこう叫び続ける。「私たちが救われたのは,王座に座っておられる私たちの神 と,子羊のおかげです」。
天使たちは皆,王座と長老たちと4つの生き物の周りに立っていた。そして,王座の前にひれ伏して神を崇拝し, こう言った。「アーメン! 賛美と栄光と知恵と感謝と栄誉と力と強さが,いつまでも永遠に私たちの神にありますように。アーメン」。
すると,長老の1人が私に言った。「白くて長い衣服を着たこの人たちは誰でしょうか。どこから来たのでしょうか」。 それで私がすぐその長老に,「それはあなたが知っておられます」と言うと,彼は私に言った。「これは大患難から出てくる人たちです。この人たちは,自分の長い衣服を子羊の血で洗って白くしました。 そのため,神の王座の前にいて,神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をしています。そして,王座に座っておられる方 は,この人たちをご自分の天幕で覆います 。 この人たちはもはや飢えることも喉が渇くこともなく,照り付ける太陽の熱や焼け付くような暑さに襲われることもありません 。王座の前にいる子羊 が,この人たちを世話し ,命の水 の泉に導くからです。また,神はこの人たちの目から全ての涙を拭い去られます 」」(黙示録7:9-17)(すべての国、部族、および言語の大群衆は大患難を生き延びます)
神の王国は地球を支配します
義人は永遠に生き、悪人は滅びる
「温和な 人たちは幸福です。地球を与えられるからです」(マタイ5:5)。
「ほんのもう少しすれば悪人はいなくなる。彼らがいた場所を見ても,もういない。しかし,温厚な人は地上に住み続け,豊かな平和をこの上なく喜ぶ。悪人は正しい人を陥れようとたくらむ。その人に向かって歯ぎしりする。エホバは悪人を見て笑う。彼の終わりが来ることを知っているからだ。悪人は剣を抜き,弓に弦を張る。虐げられている貧しい人を倒すため,正直に歩む人を殺すために。しかし,その剣は彼ら自身の心臓を刺し通し,弓は折られる。(...) 悪人の腕は折られる。しかし,正しい人はエホバが支えてくださる。(...) しかし,悪人は滅びる。エホバの敵は,青々とした牧草地のようにいずれ枯れる。煙のように消えうせる。 (...) 正しい人は地上に住み続け,そこで永遠に暮らす。(...) 希望を抱いてエホバを待ち,神の道にとどまれ。神はあなたを重んじて地上に住み続けさせてくださる。悪人が取り除かれるのを,あなたは見る。(...) 非難されるところがない人に注目し,正直な人 に目を留めよ。その人には平和な将来が待っている。しかし,違反を犯す人は皆滅ぼされ,悪人の将来は断たれる。正しい人の救いはエホバから来る。神は苦難の時の彼らの要塞。エホバは彼らを助け,救い出す。悪人から助け出し,救ってくださる。神のもとに避難したから」(詩篇37:10-15、17、20、29、34、37-40)。
「それで,善い人の道を歩み,正しい人の道にとどまれ。正直な人だけが地上に住み,非難されるところがない 人が地上に残るからである。悪人は地上から取り除かれ,不誠実な人は地上から除き去られる」(箴言2:20-22; 10:6,7)。
戦争は終わり、心と地球全体に平和が訪れる
「あなたたちは,こう命じられたのを知っています。『隣人を愛し,敵を憎まなければならない』。 しかし私は言います。敵を愛し続け,迫害する人のために祈り続けなさい。 自分が天にいる父の子であることを示すためです。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ,正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるのです。 愛してくれる人を愛したからといって,どんな報いがあるでしょうか+。徴税人 も同じことをしていませんか。 兄弟たちにだけあいさつしたからといって,特別なことをしているのでしょうか。異国の人々も同じことをしていませんか。 ですから,あなたたちは,天の父が完全であるように完全でなければなりません」(マタイ5:43- 48)。
「人の過ちを許すなら,天の父もあなたたちを許してくださいます。 逆に,人の過ちを許さないなら,父もあなたたちの過ちを許されません」(マタイ6:14,15)。
「その時,イエスは言った。「その剣をさやに収めなさい。剣を取る人は皆,剣で滅びます」」(マタイによる福音書第26章52節)。
「来て,エホバが行うことを見よ。神は地上で驚くべきことを行ってきた。神は地上の全ての場所で戦いを終わらせる。弓を折り,やりを砕き,兵車 を火で焼く」(詩篇46:8,9)。
「神は国々の中で裁きを下し,多くの人々を正しい方向に導く。彼らは剣をすきに,やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず,彼らはもはや戦いを学ばない」(イザヤ2:4)。
「最後の日々に,エホバの家の山 は,山々の頂より高くしっかりと据えられ,どの丘よりも高くそびえる。人々が流れのようにそこに向かう。多くの国の民が行って,こう言う。「さあ,エホバの山に登ろう。ヤコブの神の家に行こう。神はご自分の道について教えてくださる。私たちはその道を歩もう」。律法 がシオンから,エホバの言葉がエルサレムから出る。神は多くの人々の中で裁きを下し,遠くの強い国々の人たちを正しい方向に導く。彼らは剣をすきに,やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。彼らはそれぞれ自分のブドウの木やイチジクの木の下に座り,誰にも脅かされない。大軍を率いるエホバの口が語ったのである」(ミカ4:1-4)。
世界中にたくさんの食べ物があるでしょう
「地上には穀物が豊かに実り,山々の頂でも豊作になる。王の収穫物はレバノンの木々のように素晴らしく,町の住民は地上の草木のように咲き誇る」(詩篇72: 16)。
「神はあなたが地面にまく種のために雨を降らせてくださり,地面から栄養豊かな食物が豊富に生み出されるようになる。その日,あなたの家畜は広い牧草地で草を食べる」(イザヤ30:23) 。
永遠の命の希望への信仰を強めるイエス・キリストの奇跡
イエス・キリストとヨハネの福音書に書かれた最初の奇跡である彼は、水をワインに変えます: "3日目にガリラヤのカナで結婚の披露宴があり,イエスの母親がそこにいた。 イエスと弟子たちも披露宴に招かれていた。 ぶどう酒が足りなくなった時,イエスは母親から,「ぶどう酒がありません」と言われた。 しかしイエスは母親に言った。「それは私たちが心配することですか。私の時はまだ来ていません」。 イエスの母親は給仕たちに,「彼が言うことは何でもしてください」と言った。そこには,ユダヤ人の清めのしきたり通りに石の水がめが6つ置いてあり,各容量は五,六十リットルだった。 イエスが給仕たちに,「かめいっぱいに水を入れなさい」と言うと,彼らは縁までいっぱいに入れた。 イエスは言った。「さあ,少しくんで,宴会の幹事の所に持っていきなさい」。彼らは持っていった。宴会の幹事はぶどう酒に変えられた水を味見したが,その出どころを知らなかった。(水をくんできた給仕たちは知っていた。)それで花婿を呼んで, こう言った。「普通は最初に上等のぶどう酒を出し,みんなが酔った頃に劣ったのを出しますが,あなたは上等のぶどう酒を今まで取っておいたのですね」。 イエスはこれを最初の奇跡 としてガリラヤのカナで行い,自分の力 を明らかにした。弟子たちはイエスに信仰を持った"(ヨハネ2:1-11)。
イエス・キリストは王のしもべの息子を癒します: “イエスは再びガリラヤのカナに行った。水をぶどう酒に変えた所である。さて,カペルナウムに王の役人がいて,息子が病気になっていた。 この役人は,イエスがユダヤからガリラヤに来たことを聞くと,出掛けていき,下ってきて息子を癒やしてくれるようにと頼んだ。息子は死にかけていたのである。 しかしイエスは言った。「あなた方は奇跡 や不思議なことを見なければ,決して信じません」。 王の役人は言った。「主よ,私の子供が死なないうちに来てください」。 イエスは,「行きなさい。息子さんは治ります」と言った。役人はイエスの言葉を信じて去った。 戻る途中,奴隷たちが来て,男の子が治った と言った。 役人は,息子が何時に良くなったかを尋ねた。奴隷たちは答えた。「昨日の午後1時ごろに熱が下がりました」。 父親は,それが,「息子さんは治ります」とイエスが言ったその時刻だと分かった。こうして役人とその家の人たち全員が信じた。これは,イエスがユダヤからガリラヤに来た時に行った2番目の奇跡 だった"(ヨハネ4:46-54)。
イエス・キリストはカペナウムで悪魔に取り憑かれた人を癒します: “それからイエスはガリラヤの町カペルナウムに下っていき,安息日に人々を教えていた。 人々はその教え方に大変驚いた。イエスは権威をもって話したからである。 さて,会堂には,邪悪な天使に取りつかれた男性がいて,大声でこう叫んだ。 「ああ,ナザレ人イエス,何をしに来たのですか。私たちを滅ぼすのですか。あなたが誰かはよく分かっています。神の聖なる方です」。 しかしイエスは,「黙りなさい。その人から出なさい」と叱りつけた。邪悪な天使はその男性を人々の真ん中に投げ倒し,傷を負わせることなく出ていった。 皆は非常に驚き,互いにこう言いだした。「何と,言った通りになった。彼が権威と力をもって命じると,邪悪な天使たちは出ていくのだ」。 こうしてイエスに関する話は周囲の地方の隅々まで広まっていった"(ルカ4:31-37)。
イエス・キリストはガダレネスの地(現在はヨルダンの東部、ティベリアス湖の近く)で悪霊を追い出します: "エスが向こう岸に着いてガダラの人たちの地域に入ると,邪悪な天使に取りつかれた2人の男が墓場 から出てきてイエスに会った。人はとりわけ凶暴だったので,誰もすぐ近くの道を通る勇気がなかった。 2人はわめいて,言った。「神の子よ,何をしに来たのですか。私たちを罰するために,定められた時よりも前に来たのですか」。 遠く離れた所で,豚の大きな群れが草を食べていた。 それで邪悪な天使たちはイエスに嘆願し始め,「私たちを追い出すのでしたら,あの豚の群れの中に送り込んでください」と言った。 イエスが「行け!」と言うと,邪悪な天使たちは出てきて豚の中に入った。何と,群れ全体が突進して崖から湖に落ち,水の中で死んだ。 豚を飼っていた人たちは逃げて町に入り,邪悪な天使に取りつかれた男たちのことを含め,一切のことを知らせた。 すると,町中の人がイエスに会いに出てきた。そしてイエスを見ると,この地域から出ていくようにと求めた"(マタイ8:28-34)。
イエス・キリストは使徒ペテロのしゅうとめをいやされる:「イエスはペテロの家に入り,ペテロのしゅうとめ が熱病にかかって寝ているのを見た。 それで彼女の手に触ると,熱が引き,しゅうとめは起き上がってイエスをもてなし 始めた」(マタイ8:14,15)。
イエスは男の手を癒します: "別の安息日のこと,イエスは会堂に入って教え始めた。そこに,右手がまひした 男性がいた。 律法学者とパリサイ派の人たちは,イエスが安息日に治すのかどうか,じっと見ていた。イエスを訴える理由を見つけようとしてだった。 しかしイエスは,その考えを知っていたので,片手がまひした 男性に言った。「立ち上がって,中央に立ちなさい」。男性は身を起こして,そこに立った。 イエスは言った。「あなた方に尋ねますが,安息日にしてよいのは,助けることですか,苦しめることですか。命を救うことですか,滅ぼすことですか」。 そして皆を見回してから,その男性に言った。「手を伸ばしなさい」。男性がそうすると,手は治った。 ところが,律法学者とパリサイ派の人たちは怒り狂い,イエスをどう始末しようかと話し合いを始めた"(ルカ6:6-11)。
イエスは浮腫に苦しんでいる一人の男を癒します(体液の過剰な蓄積)に苦しんでいる人を癒します: "別の時のこと,イエスは安息日にパリサイ派のある指導者の家に食事に行った。人々はイエスをじっと見ていた。そして,水腫 になった男性がイエスの前にいた。 そこでイエスは,律法に通じた人とパリサイ派の人たちに尋ねた。「安息日に病気を治してよいでしょうか,治してはいけないでしょうか」。 しかしその人たちは黙っていた。イエスは男性に触って癒やし,そこから去らせた。 それから言った。「あなた方のうち,息子や牛が井戸に落ちた場合,安息日だからすぐに引き上げないという人がいるでしょうか」。 その人たちは答えることができなかった"(ルカ14:1-6)。
イエス・キリストは盲人をいやします。「さて,イエスがエリコに近づくと,目が見えない人が道路の脇に座って物乞いをしていた。 その人は多くの人が通っていく物音を聞いて,何が起きているかを尋ね始めた。 人々は,「ナザレ人イエスが通っていくのだ!」と知らせた。 そこでその人は叫んだ。「ダビデの子イエス,憐れみをお掛けください!」 すると,先頭にいた人たちが,静かにしているようにと言って,叱り始めた。しかし,その人は,「ダビデの子よ,憐れみをお掛けください!」とますます叫び立てた。 そこでイエスは立ち止まり,彼を連れてくるよう命じた。彼が近くに来てから,イエスは尋ねた。 「何をしてほしいのですか」。その人は,「主よ,目が見えるようにしてください」と言った。 イエスは言った。「目が見えるようになりなさい。あなたが良くなったのは信仰があったからです」。 すると,その人はたちまち目が見えるようになり,神をたたえつつイエスの後に従うようになった。人々も皆,これを見て神を賛美した」(ルカ18:35-43)。
イエス・キリストは2人の盲人を癒します: "イエスがそこから歩いていくと,目が見えない2人の人 が,「ダビデの子よ,憐れみをお掛けください」と叫びながら付いてきた。 イエスが家の中に入ると,目が見えない2人はそのもとに来た。イエスは,「私にできるという信仰がありますか」と尋ねた。2人は,「はい,主よ」と答えた。 それでイエスは2人の目に触り,「あなたたちの信仰通りになりますように」と言った。 すると,2人は目が見えるようになった。イエスは,「誰にも知られないようにしなさい」と厳重に命じた。しかし,2人は出ていってから,イエスのことをその地方全体に言い広めた"(マタイ9:27-31)。
イエス・キリストは1人の聴覚障害者を癒します: “イエスはティルス地方から戻る時,シドンを経て,デカポリス地方 を通ってガリラヤ湖に行った。 ここで人々は,耳が聞こえず言語障害のある男性をイエスのもとに連れてきて,その男性に手を置いてくれるようにと嘆願した。 イエスは群衆の中からその男性だけを連れていった。指を男性の両耳に入れ,それから唾を掛けて,舌に触れた。 そして,天を見上げて深く息を吐き,「エファタ」,つまり「開かれよ」と言った。 すると,耳は開かれ,言語障害はなくなり,男性は普通に話し始めた。 イエスは人々に,誰にも言わないようにと命じた。しかし,イエスが命じれば命じるほど,人々はますます広めるのだった。 実際,すっかり驚いて,「あの人は何でも見事に行った。耳が聞こえない人を聞こえるように,口が利けない人を話せるようにするのだ」と言った"(マルコ7:31-37)。
イエス・キリストはハンセン病患者を癒します:「また,重い皮膚病の男性がイエスの所に来て,ひざまずいて嘆願し,「あなたは,お望みになるだけで,私を癒やすことができます」と言った。 イエスはかわいそうに思い,手を伸ばして男性に触り,「そう望みます。良くなりなさい」と言った。 すぐに病気は消え,男性は良くなった」(マーク1:40-42)。
イエスはハンセン病で10人を癒します: イエスはエルサレムに行く途中,サマリアとガリラヤの間を通っていた。 ある村に入っていくと,重い皮膚病の人10人がイエスを見て,離れた所で立ち上がり, 声を上げて言った。「イエス,先生,憐れみをお掛けください!」 イエスはその人たちを見て,言った。「自分を祭司に見せに行きなさい」。その人たちは出掛けていく途中で癒やされた。 そのうちの1人は,癒やされたことに気付き,大声で神をたたえながら戻ってきた。 そしてイエスの足元にひれ伏して感謝した。しかも,その人はサマリア人だった。 それでイエスは言った。「10人全員が癒やされたのではありませんか。では,ほかの9人はどこにいるのですか。 神をたたえるために戻ってきたのは,この他国の人だけなのですか」。 そしてその人に言った。「立って,行きなさい。あなたが良くなったのは信仰があったからです」"(ルカ17:11-19)。
イエス・キリストは麻痺者を癒します:「この後,ユダヤ人の祭りがあって,イエスはエルサレムに上っていった。 さて,エルサレムにある羊の門の所に,ヘブライ語でベツザタと呼ばれる池があり,そこにつの柱廊があった。その柱廊には,病気の人,目が見えない人,足が不自由な人,体がまひした*人などが大勢,横たわっていた。 そこに,38年間も病気の男性がいた。イエスはこの男性が横たわっているのを見,もう長いこと病気であるのに気付いて,「良くなりたいですか」と言った。 病気の男性は答えた。「旦那さま,私には,水が揺れる時に池に入れてくれる人がいません。私が行こうとすると,ほかの人が先に下りてしまいます」。 イエスは言った。「起き上がり,その敷物を持って,歩きなさい」。 すると男性はすぐに良くなり,敷物を持って歩き始めた」(ジョン5:1-9)。
イエス・キリストはてんかんを癒します: "彼らが群衆の方に来ると,ある男性がイエスに近づき,ひざまずいて,言った。「主よ,息子に憐れみをお掛けください。息子はてんかんがあり,ひどい状態です。何度も火の中に倒れ,何度も水の中に落ちます。 息子をあなたの弟子たちのもとに連れてきましたが,治せませんでした」。 それでイエスは言った。「ああ,不信仰で不健全な世代よ,私はいつまであなた方といなければならないのでしょう。いつまであなた方のことを耐えなければならないのでしょう。その子をここに連れてきなさい」。 それから,イエスが邪悪な天使を叱りつけると,その子から出ていった。その時,少年は治った。 そこで弟子たちはイエスのもとにそっと来て,「なぜ私たちは追い出せなかったのでしょうか」と言った。 イエスは言った。「信仰が少ないためです。はっきり言いますが,からしの種ほどの信仰があるなら,この山に,『ここからあそこに移れ』と言うとしても,それは移るのであり,何事も不可能ではありません」"(マタイ17:14-20)。
イエスはそれを知らずに女性を癒します: "イエスが進んでいくと,人々が群がった。 ところで,12年間も出血が続き,誰にも治してもらえずにいる女性がいた。 女性は後ろから近づき,イエスの外衣の裾 に触った。すると出血はすぐに止まった。 イエスは,「触ったのは誰ですか」と言った。皆が自分ではないと答えていると,ペテロが言った。「先生,人々があなたを囲んで群がっているのです」。 それでもイエスは言った。「誰かが私に触ったのです。私から力 が出ていきました」。女性は,気付かれていたと分かり,震えながら進み出て,イエスの前でひれ伏し,イエスに触った理由とすぐに癒やされた様子を皆の前で説明した。 イエスは言った。「あなた が良くなったのは信仰があったからです。安心して暮らしなさい」"(ルカ8:42-48)。
イエスは遠くから一人を癒します: "イエスはこれらのことを民に話し終えると,カペルナウムに入った。 さて,ある士官の大切な奴隷が重い病気で死にかかっていた。 士官はイエスのことを聞くと,奴隷を治しに来てくれるよう頼むために,ユダヤ人の長老たちを遣わした。 長老たちはイエスのもとに来て,真剣に嘆願し始め,こう言った。「あの人の願いをぜひかなえてあげてください。 私たちの民を愛して,会堂を建ててくれました」。それでイエスは一緒に行った。士官の家からあまり遠くない所まで来た時,士官はイエスに次のように伝えるために友人たちを遣わした。「閣下,わざわざ私のような者の家に来ていただくには及びません。 それに,私はあなたのもとに伺うにはふさわしくない者だと思いました。ただ一言言ってくださり,私の召し使いが癒やされるようにしてください。 といいますのは,私は権威の下に置かれた人間で,私の下にも兵士がおり,この者に『行け!』と言えば,行き,別の者に『来い!』と言えば,来ます。また,私の奴隷に,『これをせよ!』と言えば,それをします」。 イエスはこれらのことを聞いてとても驚き,後に従う群衆の方を向いて言った。「あなたたちに言いますが,イスラエルでもこれほどの信仰は見たことがありません」。 そして,遣わされた人たちが家に戻ると,奴隷は健康になっていた"(ルカ7:1-10)。
イエス・キリストは18年間、障害のある女性を癒してきました: "安息日に,イエスは会堂で教えていた。 そこに,18年間邪悪な天使に取りつかれて病弱な女性がいた。腰が折れ曲がり,どうしても真っすぐに立てなかった。 イエスはその女性を見て話し掛け,「あなたはもう病弱ではありません」と言った。 そして両手を置くと,その女性はすぐさま真っすぐに立ち,神をたたえ始めた。 ところが会堂の役員は,イエスが安息日に病気を治したので憤り,群衆にこう言った。「仕事をすべき日は6日あるのだから,それらの日に来て治してもらいなさい。安息日は駄目だ」。 しかし主イエスがこう答えた。「偽善者たち,あなた方はそれぞれ安息日に牛やロバを家畜小屋から解いて,水を飲ませに引いていきませんか。 それなら,アブラハムの子孫*でサタンに18年も縛られていたこの女性が安息日に解放されてもよいのではありませんか」。 イエスがこう言うと,反対者たちは皆,恥ずかしく思うようになった。しかし,群衆は皆,イエスがした素晴らしい事柄全てを喜ぶようになった"(ルカ13:10-17)。
イエス・キリストはフェニキア人の女性の娘を癒します: "イエスはそこを去り,ティルスとシドンの地方に行った。 すると,その地方のフェニキア人女性が来て,「主よ,ダビデの子よ,憐れみをお掛けください。娘が邪悪な天使に取りつかれ,ひどく苦しめられています」と叫んだ。 しかしイエスは,一言も答えなかった。それで弟子たちが来て,言った。「この女性を追い払ってください。後に付いてきて,ずっと叫んでいます」。 イエスは答えた。「私は,イスラエル国民の迷い出た羊 の所にしか遣わされていません」。 しかし女性は来て,イエスに敬意を表し,言った。「主よ,お助けください!」 イエスは答えた。「子供たちのパンを取って小犬に投げ与えるのは正しくありません」。 女性は言った。「そうです,主よ。けれど,小犬も主人の食卓から落ちるパンくずを食べます」。 そこでイエスは言った。「素晴らしい信仰です! あなたの願う通りのことが起きますように」。すると,娘はその時,癒やされた"(マタイ15:21-28)。
イエス・キリストは嵐を静めました。「イエスが舟に乗ると,弟子たちが後に従った。 ところが,湖に大嵐が生じ,舟は波にのまれそうになった。それでも,イエスは眠っていた。 弟子たちが来てイエスを起こし,「主よ,助けてください。死んでしまいそうです!」と言った。 しかしイエスは言った。「なぜそんなに怖がっている*のですか。信仰の少ない人たち」。それから起き上がって風と湖を叱りつけた。すると湖面はすっかり穏やかになった。 弟子たちはとても驚き,「どういう方なのだろう。風や湖さえ従うのだ」と言った」(マタイ8:23-27)。この奇跡は、地上の楽園では災害を引き起こす嵐や洪水がもはやないことを示しています。
海の上を歩くイエス・キリスト: “イエスは群衆を解散させた後,祈りをするため自分だけで山に登った。日が暮れても,1人でそこにいた。 その頃までに,舟は陸から何百メートルも離れていたが,向かい風で,波のためになかなか進まなかった。 ところが,第4夜警時 に,イエスは湖の上を歩いて舟の所に来た。 弟子たちは,イエスが湖の上を歩いているのを目にして動揺し,「幻影だ!」と言った。そして,恐れのあまり叫び声を上げた。 しかし,イエスはすぐに話し掛け,「安心しなさい。私です。恐れることはありません」と言った。 ペテロは言った。「主よ,あなたでしたら,水の上を歩いてそちらに行くよう私に命令してください」。 イエスは,「来なさい!」と言った。そこでペテロは舟から出て,水の上を歩いてイエスの方に向かった。ところが暴風を見て怖くなり,沈み始めた時,「主よ,助けてください!」と叫んだ。 イエスはすぐに手を伸ばしてペテロをつかみ,「信仰の少ない人よ,なぜ疑いに負けたのですか」と言った。 2人が舟に乗り込んでから,暴風はやんだ。 その時,舟にいた弟子たちは,「確かにあなたは神の子です」と言って,敬意を表した"(マタイ14:23-33)。
奇跡的なピーチ: "人々がイエスに群がってきて神の言葉を聞いていた時のこと,イエスはゲネサレ湖 のほとりに立っていた。 湖畔に2そうの舟が泊めてあるのが見え,漁師たちが舟から下りて,網を洗っていた。 イエスはそのうちの1そう,シモンの舟に乗り,陸から少し離すよう求めた。それから腰を下ろし,舟から群衆に教え始めた。 話し終えると,シモンに言った。「沖に乗り出し,網を下ろして漁をしなさい」。 しかしシモンは答えた。「先生,一晩中働いて何も捕れませんでした。それでも,おっしゃる通り,網を下ろしてみます」。 下ろしてみると,非常に多くの魚が掛かった。網が裂け始めるほどだった。 それで,もう一方の舟にいる仲間たちに合図をし,助けに来てもらった。両方の舟は魚でいっぱいになり,沈みかけた。 シモン・ペテロはこれを見てイエスの前にひれ伏し,「私から離れてください,主よ。私は罪深い男なのです」と言った。 大漁だったので,シモンも一緒にいた人も非常に驚き,圧倒されてしまったのである。 シモンの仲間であるゼベダイの息子たち,ヤコブとヨハネ も同様だった。しかしイエスはシモンに言った。「恐れることはありません。今後,あなたは人を生きたまま捕るのです」。 この人たちは舟を陸に戻し,一切のものを捨ててイエスの後に従った"(ルカ5:1-11)。
イエス・キリストはパンを増やします: "この後,イエスはガリラヤ湖つまりティベリア湖の向こうへ行った。 大勢の人がその場所に向かっていった。イエスが奇跡 を行って病気の人たちを癒やすのを見たからだった。 イエスは山に登り,そこで弟子たちと座った。 さて,ユダヤ人の祭りである過ぎ越し が近かった。 イエスは目を上げて大勢の人がやって来るのを見,「この人々が食べるパンをどこで買いましょうか」とフィリポに言った。 彼を試すためにそう言ったのであり,どうするかは考えてあった。 フィリポは答えた。「200デナリ*分のパンでも足りません。一人一人にほんの少しずつ配ることもできないでしょう」。 弟子の1人でシモン・ペテロの兄弟であるアンデレが言った。 「ここに大麦のパン5つと小さな魚2匹を持っている少年がいます。でも,これほど大勢では何になるでしょうか」。イエスは,「人々を座らせなさい」と言った。その場所には草がたくさん生えていて,人々はそこに座った。約5000人の男性がいた。 イエスはパンを取り,感謝の祈りをしてから,座っている人たちに配った。小さな魚についても同じようにし,人々は好きなだけ食べた。 人々が満腹になった時,イエスは弟子たちに言った。「余ったかけらを集め,何も無駄にならないようにしなさい」。 弟子たちがかけらを集めると,12個の籠がいっぱいになった。もともと5つだった大麦のパンを食べた人たちが残したものだった。人々はイエスが行った奇跡 を見て,「これこそ,世に来ることになっていた預言者だ」と言いだした。 イエスは,人々が自分を王にするために捕らえに来ようとしているのを知り,ただ独りで 再び山に去っていった"(ヨハネ6:1-15)。地球全体に食物が豊富にあります(詩篇72:16;イザヤ30:23)。
イエス・キリストは未亡人の息子を育てました:「この後すぐ,イエスはナインという町に移動した。弟子や他の大勢の人が同行していた。 町の門に近づくと,死人が運び出されてくるところだった。それはある母親の一人息子で,しかも母親はやもめだった。町のかなり多くの人も一緒にいた。 主イエスはその母親を見ると,かわいそうに思い,「泣くことはありません」と言った。 そして,遺体を載せた台に近づいて触った。担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言った。「若者よ,さあ,起き上がりなさい!」 すると死人は体を起こして話し始め,イエスは息子を母親に渡した。 この時,皆は畏れを抱き,神をたたえ始めて,「偉大な預言者が私たちの間に現れた」,「神はご自分の民に注意を向けてくださった」と言った。 イエスに関するこの話はユダヤ全土と周囲の全地方に広まった」(ルカ7:11-17)。
イエス・キリストはヤイロの娘を復活させます:「イエスが話しているうちに,会堂の役員の家から人が来て,「娘さんは亡くなりました。もう先生を煩わすことはありません」と言った。 これを聞いてイエスは役員に言った。「心配は要りません。ただ信仰を持ちなさい。そうすれば娘さんは救われます」。 その家に着くと,イエスは,ペテロ,ヨハネ,ヤコブ,娘の父親と母親以外は,誰も一緒に中に入らせなかった。 一方,人々は皆泣き,娘のために胸をたたいて悲しんでいた。イエスは言った。「泣くのをやめなさい。少女は死んだのではなく,眠っているのです」。 人々はイエスのことをあざ笑いだした。少女が死んだことを知っていたからである。 しかしイエスは少女の手を取って呼び掛け,「起きなさい!」と言った。 すると少女は生き返り,すぐに起き上がった。イエスは,少女に何か食べさせてあげるよう命じた。 両親はわれを忘れたようになったが,イエスは起きた事を誰にも話さないようにと指示した」(ルカ8:49-56)。
イエスキリストは、4日前に亡くなった友人のラザロを復活させます:「イエスはまだ村に入っておらず,マルタと会った場所にいた。 家でマリアを慰めていたユダヤ人たちは,マリアが急いで立って出ていったので,墓に行って泣くのだろうと思い,後に付いていった。 マリアは,イエスがいる所に着いてイエスを見つけると,その足元にひれ伏して,「主よ,もしここにいてくださったなら,私の兄弟は死ななかったでしょう」と言った。 イエスは,マリアが泣き,一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見ると,心の中でうめき,苦悩した。 そして,「ラザロをどこに横たえたのですか」と言った。人々は,「主よ,一緒に来てください」と言った。 イエスは涙を流した。それでユダヤ人たちは言いだした。「見なさい,本当に愛情を抱いていたのだ」。 しかし,ある人たちは言った。「この人は目が見えない人の目を開けたが,彼が死ぬのは防げなかったのだろうか」。
イエスは,再び心の中でうめいてから,墓に来た。それは洞窟で,入り口が石でふさがれていた。 イエスは,「石をどけてください」と言った。兄弟を亡くしたマルタが言った。「主よ,もう臭くなっているに違いありません。4日たっています」。 イエスは言った。「信じるなら神の輝かしい力を見る,とあなたに言いませんでしたか」。 石がどけられると,イエスは天を見上げて,こう言った。「父よ,私の願いを聞いてくださり,感謝いたします。 いつも聞いてくださることは知っていますが,周りに立つ人々のために言っています。あなたが私を遣わされたことをこの人々が信じるためです」。 イエスはそう言い終えると,大声で叫んだ。「ラザロ,出てきなさい!」すると,死んでいたラザロが,手足に布を巻かれたまま出てきた。顔にも布が巻かれていた。イエスは言った。「ほどいて,歩けるようにしてあげなさい」」(ジョン11:30-44)。
最後奇跡的なピーチ(キリストの復活の直後): "ちょうど夜が明ける頃,イエスが浜辺に立ったが,弟子たちはそれがイエスだと気付かなかった。 イエスは言った。「友よ,食べる物 がないのですね」。弟子たちは,「ありません」と答えた。 イエスは言った。「舟の右側に網を投げなさい。そうすれば捕れます」。そこで弟子たちは網を投げたが,魚があまりに多くて網を引き寄せられなかった。 それで,イエスの愛する弟子がペテロに,「主だ!」と言った。裸 だったシモン・ペテロは,主だと聞くと,服を着て湖に飛び込んだ。 しかしほかの弟子たちは,魚でいっぱいの網を引きながら,小舟でやって来た。岸からそれほど遠くなく,わずか90メートルほどだった"(ヨハネ21:4-8)。
イエス・キリストは他の多くの奇跡を行いました。彼らは私たちの信仰を強め、私たちを励まし、楽園にある多くの祝福を垣間見ることができます。使徒ヨハネの書かれた言葉は、楽園で起こることを保証するものとして、イエス・キリストが成し遂げた驚くべき数の奇跡を非常によく要約しています: 「事実,イエスが行ったことはほかにも多くある。それを詳細に書いたとしたら,その巻物は世界に収まり切らないと思う」(ジョン21:25)。
聖書の教え
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•神は名前:エホバを持っています。私たちはエホバのみを崇拝しなければなりません。私たちはすべての力で彼を愛さなければなりません(黙示4:11、マタイ22:37)(Worship Jehovah; In Congregation)。神は三位一体ではありません : "「わたしはエホバであるそれがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず,わたしの賛美+を彫像に[与える]こともしない" (イザヤ42:8) (The Revealed Name) 。
•イエス・キリストは、神によって作成された神の唯一の御子であるという意味で、神のひとり子である(ヨハネ1:1-3)。イエス・キリストは全能の神ではなく、彼は三位一体の一部ではありません: "イエスは,「人々は人の子のことをだれだと言っていますか」と弟子たちに尋ねはじめられた。 彼らは言った,「ある者はバプテストのヨハネ,他の者はエリヤ,さらに他の者はエレミヤまたは預言者の一人と言っています」。 [イエス]は彼らに言われた,「だが,あなた方は,わたしのことをだれであると言いますか」。シモン・ペテロが答えて言った,「あなたはキリスト,生ける神の子です」。イエスはそれにこたえて言われた,「ヨナの子*シモンよ,あなたは幸福です。肉と血があなたに[これを]啓示したのではなく,天におられるわたしの父がそうなさったからです" (マタイ16:13-17) (Jesus Christ the Only Path; The King Jesus Christ)。
•聖霊は神の積極的な力です。彼は人ではなく(使徒2:3)。聖霊は三位一体の一部ではありません: "そして,さながら火のような舌 が彼らに見えるようになってあちらこちらに配られ,彼ら各々の上に一つずつとどまり"(使徒2:3) 。
•聖書は神の言葉です。私たちはそれを読んで研究し、それを私たちの生活に適用する必要があります(詩編1:1-3):"聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育する+のに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた*者となるためです"(2テモテ3:16,17) (Read the Bible Daily)。
•キリストの犠牲に対する信仰のみが、罪の赦しとその後の死者の癒しと復活を許します: "「というのは,神は世*を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです"(ヨハネ3:16、マタイ20:28)(イエス・キリストの死の記念碑)。
•神の王国は1914年に天に設立された天の政府であり、「新エルサレム、」キリストの花嫁を構成する144000人の王と司祭と一緒にイエス・キリストです。神のこの天政府は大艱難の間に現在の人間の支配を終了し、地上に設置される(啓示12:7-12; 21:1-4;マタイ6:9-10;ダニエル2:44): "「そして,それらの王たちの日に,天の神は決して滅びることのない+ひとつの王国を立てられます。そして,その王国は*ほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます" (ダニエル2:44) (The End of Patriotism; The King Jesus Christ; The Earthly Administration of the Kingdom of God) 。
•死は人生の反対です。魂が死んで精神(生命力)がなくなります(詩編146:3,4):"生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もなく,彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら,彼らの記憶は忘れ去られたからである。(...) あなたの手のなし得るすべてのことを力の限りを尽くして行なえ。シェオル,すなわちあなたの行こうとしている場所には,業も企ても知識も知恵もないからである" (伝道の書 3:19,20;9:5,10)。
•"そしてわたしは神に対して希望を持っておりますが,その希望はこれらの[人たち]自身もやはり抱いているものであり,義者と不義者との復活があるということです" (ヨハネ5:28,29、使徒 24:15)。千年の判断があります(黙示録20:11-13) (The Earthly Resurrection; The Administration of the Earthly Resurrection; The Judgment of the unrighteous)。
イエスキリストと天国に行く人は14万4千人にすぎません。 黙示録7章9-17節で言及された大いなる群衆は、大いなる試練から生き残り、地上の楽園で永遠に生きる者です: "またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼と共に,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて[立っていた]" ; "これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。(...) それでわたしはすぐ彼に言った,「わたしの主よ,あなたが知っておられます」。すると彼はわたしに言った,「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした" (黙示録14:1-5;7:3-8;7:9-17)(The Heavenly Resurrection (144000); The Great Crowd)。
•私たちは、大艱難仕上げこの事物の体制の最後の日に生きている(;マルコ13;マタイ24,25ルーク21;黙示録19:11-21)。キリストの存在(Parousia)は1914年以来目に見えなくなり、千年の終わりに終わるでしょう: "[イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の*終結のしるしには何がありますか」"(マタイ24:3)(The King Jesus Christ)。
•楽園は地上にあります: "それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,[神]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。 また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」"(イザヤ11,35,65、啓示21:1-5)(The Release)。
•神はエホバの主権の正当性に対する悪魔の挑戦をサタンに応えるために苦しみを許しました(創世記3:1-6;ヨブ 1:7-12; 2:1-6)。苦しみを引き起こすのは神ではなく(ヤコブ1:13)。苦しみは4つの主な要因の結果です:悪魔の悪魔は苦しみを引き起こす人です(仕事の1:7-12; 2:1-6)(Satan Hurled)。苦しみは、アダムの罪を犯した後の一般的な状態から、私たちを老い、病気と死に導いた結果です(ローマ人への手紙第5章12節、6:23)。苦しみは、アダムから受け継がれた罪深い状態のために悪い人間の決定(私たちの一部または他の人間の決定)の結果である可能性があります(申命記32:5、ローマ7:19)。苦しみは、人が間違った時に間違った場所にいることになる「予期しない時と出来事」の結果である可能性があります(伝道の書9:11)。運命やは聖書の教えではなく、私たちは善悪を行うことを「運命づけ」されていませんが、神の自由意志に基づいて、「良い」または"悪"(申命記30:15)。
•私たちは神の国のためでなければなりません(マタイ28:19,20)(The Baptism)。 私たちは王国の良い知らせを伝えなければなりません(マタイによる福音書24:14)(The Good News)。
聖書に禁止されている
殺人嫌いは禁じられています:「すべて自分の兄弟を憎む者 は人殺しです 。そして,人殺し はだれも自分のうちに永遠の命をとどめていないことをあなた方は知っています」(ヨハネ第一 3:15) 殺人は個人的な理由で、宗教的愛国心や国家愛国主義によって禁止されています。「その時イエスは彼に言われた,「あなたの剣を元の所に納めなさい
。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです」(マタイによる福音書26:52)(End of Patriotism)。
盗難は禁止されています:「盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,骨折って働き,自分の手で良い業を行ない,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい」(エペソ人4:28)。
嘘をつくことは禁じられています。「互いに偽りを語ってはなりません。古い人格 をその習わしと共に脱ぎ捨て」(コロサイ3:9)
その他の禁止事項:
"ですから,わたしの決定は,諸国民から神に転じて来る人々を煩わさず,ただ,偶像によって汚された物と淫行と絞め殺されたものと血を避けるよう彼らに書き送ることです"
(使徒15:19,20,28,29)
アイドルによって汚染されたもの:異教の休日を祝う宗教的行為に関連する「もの」です:"何でも肉市場で売っているものは,あなた方の良心のために,何も尋ねないで+今後も食べなさい。地とそれに満ちるものとはエホバのもの」だからです。不信者のだれかがあなた方を招き,あなた方が行きたいと思う場合,自分の良心のために,何も尋ねることなく,何でも自分の前に出される物を食べなさい。しかし,もしもだれかが,「これは犠牲としてささげられたものです」とあなた方に言うなら,そのことを明かした人のために,また良心のために,それを食べてはなりません。「良心」とわたしが言うのは,あなた自身のではなく,相手の人の[良心]のことです。というのは,わたしの自由がほかの人の良心によって裁かれるということが,どうしてあってよいでしょうか。 わたしが感謝を抱いてあずかっているのであれば,わたしが感謝をささげているものについて,なぜあしざまに言われるべきでしょうか" (コリント第一10:25-30)。
聖書が非難する宗教的実践について:"不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。さらに,キリストとベリアルの間にどんな調和があるでしょうか。また,忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか。そして,神の神殿*と偶像にどんな一致があるでしょうか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神が言われたとおりです。「わたしは彼らの中に住み,[彼らの]中を歩くであろう。そしてわたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる」。「『それゆえ,彼らの中から出て,離れよ』と,エホバは言われる。『そして汚れた物に触れるのをやめよ』」。「『そうすればわたしはあなた方を迎えよう』」。「『そしてわたしはあなた方の父となり,あなた方はわたしの息子また娘となる』と,全能者エホバは言われる」" (コリント第二6:14-18)。
偶像崇拝を練習しないでください。 すべての偶像崇拝的な物や像、十字架、宗教上の彫像を破壊する必要があります(マタイ7:13-23)。スピリチュアリズムを練習しないでください:占い、魔法、占星術...オカルトに関連するすべてのオブジェクトを破壊する必要があります(使徒19:19、20)。
聖書の原則を尊重しない宗教的儀式に出席する必要はありません(コリント第一10:20-22)。私たちはポルノから逃げなければなりません。暴力的で堕落する映画、偶然の試合、麻薬、マリファナ、たばこ、過剰アルコール、酔っ払い、:"そのようなわけで,兄弟たち,わたしは神の情けによってあなた方に懇願します。あなた方の体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出しなさい。これがあなた方の理性による神聖な奉仕です" (ローマ 12:1;マタイ5:27-30; 詩編11:5)。
性的不道徳:姦通、結婚外のセックス、同性愛、性的嫌悪:"あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです (コリント第一 6:9,10)。"結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです" (ヘブライ 13:4)。
聖書はポリダミーを非難しています。この状況で神を喜ばせたいと思う人は、彼が結婚した最初の妻とだけ残すことによって自分の状況を正式化しなければなりません(テモテ第一3:2「ひとりの妻の夫」))。 マスターベーションの練習は聖書に禁止されています:"ですから,淫行,汚れ,性的欲情,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなた方の肢体を死んだものとしなさい" (コロサイ3:5)。
あなたは血を食べてはいけません。輸血として血液を受け入れないでください : "ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない"(創世記 9:4) (The Sacred Blood; The Sacred Life)。
この聖書研究では、聖書によって非難されるすべてのことを綴っていません。 成熟したキリスト教徒と聖書の原則の良い知識は、聖書に直接記されていなくても、「良い」と「悪い」の違いを知るでしょう: "方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです"(ヘブライ 5:14) (SPIRITUAL MATURITY)。